何故,勉強しないといけないのか

何故,勉強しないといけないのか

自分で,あるいは周りからそんな疑問を持ったことはありませんか?

私はよく学生時代に,

「なぜ大人たちはほぼ忘れてしまっているようなことを自分は嫌々やらなくてはいけないのか」

「将来の役に立つというが,お前らは学校で覚えたことを活用していないじゃないか」

と疑問に思っていました。

 

結局当時は答えを見つけ出すことも,示してもらうこともなかったので,現在卒業してみて,改めて今までの経験や現状から勉強ってなんの意味を持っていたのかというのを考えてみたことを書いてみます。

 

私が考え付いた勉強する意味は

勉める強さを養うこと

かなと思っています。

 

日本では勉強を小学校6年,中学校3年は義務教育とし,高等学校3年も行く人が多い様に感じます。

しかし,この12年間に勉強で覚えた知識はその専門職に行かないとほぼ使わなくなっていきます。

 

各教科を勉強するうえで,知識ではなく,それぞれの学問の特徴から個人の能力を伸ばすことが目的だということも言えるかもしれません。

国語:読解力や文章力

算数 (数学) :計算力や論理力

英語:世界で使えるコミュニケーション力

理科:現象に対する考察力,科学的考え方

社会:歴史からの学び,ニュースや社会の理解

他にも養われる力は色々あると思います。

 

けど,それをわざわざあんな面倒な環境で無理強いされてやる必要があるでしょうか?

そもそも,個人の能力を伸ばすような授業というより,ひたすら知識を詰め込むことを目的になっていませんか?
じゃあ学校行かないで家で勉強すればいいのでは?
と,過激的な発言になりそうですが,それは学校に行く必要があるのか?という別の議題に逸れてしまうので,もし機会があれば今度やります。

 

勉強=学校というイメージが必ず付きまといますが,じゃあ卒業したら勉強はしないのでしょうか?

例えば,新しい家電を買ったとき,使い方を覚えようとしますよね?ゲームやスポーツをやるときだって,ルールやコツを覚えようとします。

この

何かを行う時に必要なことを覚えようとすること

これこそが勉強をするという本質ですよね

 

じゃあ子供たちや私たちの過去は,なぜあんな嫌々勉強をしてきたのでしょうか?

結局のところ,興味がわかないことを覚えようとしたら誰だって面倒ですし,嫌気がさします。実際,私は授業中は小説を読むか寝ていましたw

 

ただ,そんなことを繰り返していたら,やらないといけない事,向き合わなくてはいけない問題に直面した時についつい先延ばしにしていまったり,ほったらかして後で怒られたりと逃げ癖のようなものがついてしまったように感じます。

大学受験期間中はCoDというFPSゲームにドハマりしましたねぇ・・・

 

今,私が何故勉強をする必要があるのかと,問われたら

向き合わなくてはいけない事柄が来た時に,きちんと向き合う強さを身に着ける為

の方法として勉強があると答えます。

 

どこまで出来たとか,周りと比べて何点だったとか,そういうのは競争社会的には必要なのだと思いますが,勉強する意味としては

前回の自分と比べて,どれぐらい努力できたのか

嫌な学問に対して,向き合うことが出来たのか

を指標にしたら,もう少し頑張ることが出来たのではないのかな・・・と思うこの頃でした。